藤沢女子高生殺害事件
1967(昭和42)年1月13日
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1967(昭和42)年1月13日夜、神奈川・藤沢市の市道で、労務者の佐藤虎美(26)は性的欲望を満たそうと女性を物色。そこへ定時制高校から下校途中のA子さん(19)が通りかかった。佐藤はA子さんを呼び止めて人通りの少ない路地に誘い込み、婦女暴行をしたうえで殺害。遺体を同市内の造成地に埋めて逃走した。

一方、翌日になっても帰宅しないA子さんの母親は、藤沢署に捜索願を届け出た。警察は、身代金目的の誘拐事件も視野にいれたが、A子さんの自宅には犯人からの電話がなかったことから、16日の夕方、家出人として公開捜査に踏み切った。

その翌日、新聞記事で事件を知った横浜市の自営業の男性から、「いとこの佐藤が女子高生を殺して近くの造成地に埋めたらしい」と情報を寄せた。早速、藤沢署が付近の造成地を捜索した結果、A子さんの遺体を発見した。藤沢署は捜査本部を設置するとともに、佐藤を全国指名手配した。すると、事件から5日後の18日に立ち回り先で佐藤を逮捕した。

佐藤は、岩手県の出身で、今までに婦女暴行、強盗、放火、窃盗などで前科3犯。この殺害事件の前年10月に山形刑務所を出所したばかりであった。出所後、横浜のいとこを頼って上京。間もなく遺体を埋めた造成地の飯場に作業員として住み込んだ。


1969(昭和44)年3月、横浜地裁は佐藤に無期懲役を言い渡した。これに対して、検察側は「刑が軽すぎる」として控訴。東京高裁は、「婦女暴行の前歴があること、犯行の様態が残虐極まりない」と断じて、1審の無期懲役を破棄し佐藤に死刑を言い渡した。佐藤は、これを不服として上告。1972(昭和47)年7月18日、最高裁は2審判決を支持して佐藤に死刑が確定した。

佐藤は、同様の事件判例では無期懲役なのに対して、自分が死刑というのは納得がいかないと再審請求を行う。だが、あえなく却下された。佐藤は、死への恐怖からなのかA子さんの冥福を祈るどころか、なんとか死刑だけは回避したいと、再三再審請求を行った。

だが、1982(昭和57)年11月25日の朝。東京拘置所の所長室に連行された佐藤は、そこで死刑執行命令書を読み上げられた。再審請求中の身であり、死刑執行はないと考えていた佐藤は、「なんでだぁ!」と叫ぶと大暴れ。身長180センチ、体重100キロの佐藤を押さえるのに何人もの刑務官が取っ組み合いとなった。その後、刑場へ連行された佐藤は、ここでも大暴れ。結局、最後の言葉もなく刑場の露と消えた。享年41歳。


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